2009年1月 6日

益井 の私書箱何の変哲もない日記ポーランド=リトアニア連合

次のテストには絶対でてきますよこうゆう意地悪い問題。
確実ですので予習しておこうっと。


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ハイドゥクという言葉は、16世紀終盤にハンガリーからポーランド語へ取り入れられた。はじめ、それは歩兵を意味する口語であり、ハンガリーやバルカン・トルコに触発されたものであった。ハイドゥク歩兵は、1570年代から1630年代までのポーランド人歩兵力の中枢を担っていた。この時代に一風変わっていたが、ポーランド=リトアニア連合のハイドゥクたちは、典型的な灰青色の羊毛の生地、赤いカラーとカフスのついた制服を着ていた。彼らの主力の武器は小さな口径の銃といった小火器で、火縄銃であった。接近戦用に彼らは、重くて多様なサーベルを運び、敵のパイクやポールウェポンの先端を切り落とすことができた。一般の考えとは違い、小さな斧を彼らは常にベルト下に下げていた(大きな半月型の斧berdyszは、ハイドゥクは滅多に携帯しなかったので混同しないこと)。この斧は戦闘用ではなくむしろ木を切るためであった。

17世紀半ば、ハイドゥク風の歩兵の服装は、ポーランド=リトアニアは概ね廃れていった。西ヨーロッパ風のマスケット銃に取って代わられたのである。しかし、ポーランド=リトアニア連合のヘトマンや司令官たちは、今やまれにしか野戦にハイドゥクたちを使わなくなったというのに、18世紀になっても過去に逆戻りしたかのように、自身のボディガードとしてそろいの制服を着せたハイドゥクたちを保持し続けた。これらの過去のボディガードのまねとして、18世紀に裕福なシュラフタたちは地元民の召使いをハイドゥクと呼び、そろいの制服を着せて雇っていたことがあった。そのためにハイドゥクという言葉の意味が、現代ポーランド語で一般的に知られるようになったのである。

引用『ウィキペディア(Wikipedia)』